西陣の妙見宮 / 洛陽十二支妙見『子』 日蓮宗 日洋山 善行院西陣の妙見宮 / 洛陽十二支妙見『子』 日蓮宗 日洋山 善行院
TEL/FAX:075-451-4182  MAIL:info@zengyoin.com
善行院縁起

善行院縁起

 このページの目次 

西陣織の織音が響く街と500有余年。
尚も開運厄除・商売繁盛等で信仰が続きます。

善行院正面・山門

関西初の法華経道場・大本山妙顕寺と善行院

バッタンバッタンと千年の歴史を残す西陣織の織音が聞こえる街並みの中、北に本山妙覚寺・西に本山本法寺、その間に表千家不審庵、裏千家今日庵を挟み、日蓮聖人の遺命を受け帝都弘通を果たされた日像菩薩を開山とする関西最初の法華経の道場大本山妙顕寺が六百有余年の歴史を今に伝えています。

その山内東側に小院は位置し、開山恵眼院日富上人(文正元年 一四六六年)以来五百有余年、幾多の変遷を経て法灯が護り続けられています。


妙見宮内観

十二支最初の『子』北の妙見宮

境内北側にある妙見堂は、その昔、第百十一代後西天皇(明暦二年~寛文三年 一六五六年~一六六三年)が皇居清涼殿にて日夜国家安穏をご祈念された妙見大菩薩の尊像が祭祀されています。

ある時、『法華経によってこの妙見大菩薩を祭祀せよ』との霊夢により妙顕寺へ移され、その後天保年間(一八三〇年)に当院二十七世日謙上人が妙見堂を建立され、以後現在にその信仰を伝えています。

文久年間(一八六一年)には洛陽廿八宿妙見の十二番札所として栄え、永照講が奉納した扁額が現存し、短歌額等が奉納され、天拜の妙見様として近隣の信仰を集めていました。

昭和六十一年洛陽十二支妙見復興に伴い、十二支最初の『子』北の妙見宮として再び庶民信仰の歩みをはじめました。


妙見堂外観

開運祈願や大水行祈祷会を厳修、現在の善行院と妙見堂

堂宇は小さなものですが、天拜の妙見様としての歴史を今に伝へ、開運厄除をはじめ、西陣織の中心地に位置する事から、西陣の織元を中心に近隣の商家の開運、商売繁昌や合格祈願、眼病平癒等々を祈念する善男善女の信仰を集めています。

幕、のぼり、提灯、石標等々の寄進、奉納が相次ぎその霊験あらたかな名を高めています。

又、毎年大晦日から元旦にかけて、住職を中心に一般信者多数が参加し、ゆく年への報恩感謝と、来るべき新年の多幸開運を祈る大水行祈祷会が厳修され、京都でも他に見られない庶民の迎春行事となりつつあります。

皆様もご参拝ご祈念の上、開運勝利諸願成就ならしめん事をお祈りして下さい。

現在の妙見堂は、本堂、庫裡等総改築(平成十五年四月落慶宗祖立教開宗七五〇年記念事業として)鉄骨二階建てになり、現代風な建物になるも、その古き歴史を伝えています。

歴史年表

1466年
(文正元年)
開山 恵眼院日富上人により開創。

1830年
(天保年間)
27世 大漸院日謙上人により妙見堂建立。第111代 後西天皇が皇居で日夜、国家安穏を祈念され、のちに法華経にて祭祀せよとの霊夢にて移されたという天拝妙見大菩薩が祀られる。

大正年間35世 曼殊院日優上人、白龍堂を建立。白鱗大龍王祭祀。

大正13年管原霊神勧請 35世 日優上人、病弱なりしを霊神、住職妻の前に現れ、十数年に亘る心臓病を7日間にわたり与薬して全治せしめ給う、霊験顕著なり。天上界より前庭の紅梅を神木として守護するべく降臨せらると信仰すべし。

平成15年
4月28日
落慶法要厳修 師父 36世 不軽院日暉(児玉宜海)上人 立教開宗750年慶讃事業として本堂・庫裏・妙見堂の全面改築。

平成26年37世 心照院日純(児玉純人)入寺。

令和2年西陣庭苑樹木葬オープン。

ページTOPへページTOPへ